無縁遺骨は10年で倍増。背景には貧困や家族観の変化。

無縁遺骨、いわゆる引き取り手のいない遺骨は年々増加しており、この傾向は続くと推測されます。無縁遺骨の現状、なぜ無縁遺骨が生じるのか、また多様な葬送のあり方について書いてみようと思います。

無縁遺骨は増える一方

2017年の毎日新聞報道によると、政令市で2015年度に亡くなった人の約30人に1人は引き取り手がおらず自治体によって処理手続が行われたそうです。数にして全政令市で約7400柱で10年間でほぼ倍増。大阪市では9人に1人が無縁だったそうです。

調査は今年6月、政令市を対象に実施。06~15年度に税金で火葬後、保管・埋葬した遺骨数を尋ねた。この結果、政令市の計20自治体は15年度に計7363柱を受け入れた。厚生労働省の人口動態統計によると、政令市の15年中の死者数は計24万4656人。統計は年間集計だが、33人に1人が無縁だったことになる。4047柱だった06年度から1.8倍になった。

最多は大阪市の2999柱。横浜市979柱(死者31人に1人)、名古屋市607柱(35人同)と続いた。千葉と川崎でも約35人に1人、札幌と福岡、北九州では約60人に1人が無縁仏だった。

無縁仏:政令市、10年で倍増 貧困拡大背景 – 毎日新聞

また、2018年の中日新聞報道によると、中部9県の県庁所在地および政令指定都市(浜松市)における2017年度の無縁遺骨は、少なくとも計1282柱で2008年度に比べて2.6倍になっているとのこと。例えば名古屋市では、2008年度に397柱だったものが2017年度には785柱にまで増加しているそうです。

頼れる身寄りがなく、引き取り手のいない遺骨が、二〇一七年度に中部九県の県庁所在地と政令指定都市・浜松市の計十市で少なくとも計千二百八十二体に上り、九年前の〇八年度に比べて二・六倍に増えたことが、本紙の取材で分かった。

無縁遺骨、9年間で2・6倍 中部10市:一面:中日新聞(CHUNICHI Web)

「墓地、埋葬等に関する法律」1では第9条に、「死体の埋葬又は火葬を行う者がないとき又は判明しないときは、死亡地の市町村長が、これを行わなければならない。」と定められており、亡くなった方の引き取り手がいない場合は、その火葬・埋葬手続は自治体が行うことになります。実際には引き取り手となるべき人が全く存在しないわけではないことも多いので、自治体としても遺族に打診をしたり官報で公告したりして引き取りを呼びかけているのですが、現実に引き取る方はごくわずかなようです。

たとえば名古屋市。天白区にある八事霊園にある納骨堂・東山霊安塔に安置されている無縁遺骨のうち、2017年度に遺族が引き取った数は27柱。引き取り手がいないため無縁墓に合葬された数は690柱だったとのこと。

市社協(市社会福祉協議会)は、保管場所を確保する目的もあり、預かってから10年を迎える無縁遺骨について、市を通じてあらためて遺族に引き取りを打診したり、官報で公告したりしている。「一度は拒んだ遺族であっても、10年という時間を経て、気持ちが変わることもある」。ただ、返却できるのはごく少数にとどまり、昨年度で27体。一方で、引き取られないまま無縁墓に合葬されたのは、690体に上った。

10年保管、返却はわずか 無縁遺骨:中日新聞(CHUNICHI Web)

無縁遺骨が増えるのはなぜ

無縁仏2が増加している背景には、葬儀費用やお墓の費用を工面できない貧困層の拡大が背景にあるともいわれます。葬儀・火葬を行う負担、お墓を新たに準備する必要がある場合の費用負担などに耐えられない場合もあるでしょう。

一方、家族のあり方が多様化する中で、血縁があっても引き取りを拒否する遺族が増えているのも一因だと考えらえます。たとえば、離婚などによって長期にわたって音信不通だった家族を引き取りたくないという場合は多くあります。また、身寄りがまったくないという方も中にはいらっしゃいます。

いずれにしても年間死亡者数は2007年の約111万人に対して2017年は約134万人、2025年には約152万人に達すると推計されています。無縁遺骨の増加傾向は今後も続くだろうと思われます。

かつて葬送は一定の定型的な供養の考え方を共通意識としつつ、家族のみならず地域社会によって支えられてきました。しかし現代においては、家族観も大きく変遷し、地域社会の機能も低下しています。ある意味、定型的な供養のあり方は持続不可能になりつつあると言えるのかもしれません。

定型的な供養のあり方という意識の拘束

遺体の引き取りを拒否するだけでなく、遺骨をお寺の前に置いてきたり、電車の網棚に忘れ物のように置いてきたり、一般ごみと一緒に廃棄するような事も起きています。このような推奨できないような遺骨の取扱い(場合によって遺骨遺棄罪に該当する場合もあります)が起こるのは、そのような行為をする人々の意識の中に、定型的な供養のあり方によって拘束されているような部分があるのではないかとも思われます。つまり、遺骨はお墓に埋葬し、代々引き継いで供養をし続けるものであるという意識です。

現実にはお墓がなく、お墓を準備する余力のない方もいらっしゃいます。またお墓を持っていても維持管理が難しい事情を抱えている方もいらっしゃいます。そのような事情を抱えた方々にとっては、もっと自由な供養のあり方、あるいはあまりお金のかからない供養のあり方もあるということを知らせていく必要があるのかもしれません。また、このような事情の下にない方であっても、供養のあり方を見直す機会があっても良いと思います。

誰もが多様な葬送のあり方を考える機会を

葬送のあり方は変化しており、自然葬や合葬墓なども増えてきました。また散骨を選ばれる方もいらっしゃいます。粉骨をして「かさ」を減らし手元に置かれるかたもおられます。費用についてもそれぞれで、数万円程度で済む場合もあります。

葬送に対する考え方は人それぞれですが、大切なのは他者に迷惑をかけない限り、その選択は個々人に委ねられるべきだということだと思います。かつては個々人の選択だけでは済まない場合もあったでしょう。しかし個人の選択に対する社会的なプレッシャーは減少しつつありますし、そうなっていくべきだと思います。不本意な遺骨の取扱いをする前に、供養のあり方そのものを新たに考えてみる機会があることが大切だろうと思います。

誰もが安価に選択できる葬送の方法を模索中です。また法律・条例や社会的ルールが向かうべき方向についても日々勉強しています。