秋田市の合葬墓に対する寺院コメント「人生の価値を考えるとひどい」に批判が集中した件について

秋田市では、2018年に県内の公営墓地としては初となる合葬墓の整備を始めました。秋田市平和公園(秋田市泉字五庵山137番地の5)内の市営墓地に設置された合葬墓については、2018年4月2日の申込受付に希望者が殺到し急遽午前中に受付を終了。2018年5月22日に残りの約500体分を受付を行うとしたところ、前日から行列ができて予定の午前7時半受付予定だったものを午前5時には募集を締め切りしました。

この人気を受けて、秋田市は秋田市北部墓地(秋田市飯島字堀川84番地180)内に追加で1500体分の合葬墓を整備することを決定。2019年4月に完成しました。2019年7月には1次募集が開始されます。前回の募集方法では大きな混乱があり、申込できなかった市民から不満が相次いだため、募集方法も改められるようです。申請は郵送でも可能とし、先着順を改め、優先枠(既に遺骨のある人、市営墓地から改葬する人、65歳以上で子どもがおらず墓がない人)も設けるという意向とのこと。

なぜ公営の合葬墓は人気なのか

合葬墓とは、遺骨を個人・家族単位ではなく、他の家族(他人)の遺骨とともに同じ場所に納骨する墓のことをいいます。仏教式だと「永代供養墓」と呼ばれることが多いのですが、特定の宗教に依拠しない地方自治体が設置する場合は合葬墓と呼ばれることがほとんどです。

公営の合葬墓設置は近年相次いでおり、また応募が殺到するなど人気を博しています。このブログで紹介したものでも苫小牧市や川崎市の例、また弘前市などでも応募が殺到したということがニュースになっています。

【参照】
川崎市が緑ヶ丘霊園に合葬墓を整備
川崎市の合葬型墓所が緑ヶ丘霊園に完成。5月に内覧会、7月に利用受付開始。
高まる合祀型墓所へのニーズ ~苫小牧市の共同墓説明会は盛況、初日申請も42人~
「合葬墓」生前申し込み 応募多数、倍率2.5倍に 弘前  – 毎日新聞

公営の合葬墓がなぜ今これほど人気なのでしょうか。

お墓の承継者がいない

日本は少子高齢化・人口減少が高度に進行しており、お墓があってもそれを継ぐ人がいないというケースが増加しています。しかも、多死社会とも言われる状態であるため、亡くなる人の数に比して、その供養を支える人が足りないという現実があります。

先々のことを考えず、また先延ばしにしていると、お墓は放置され無縁化していきます。1つの家や親族に1つの墓というあり方を維持するのが難しくなってきているというのが現実です。この現実から目を背けていると、無縁墓は結果的に誰かの手によって撤去され、遺骨は無縁仏となってしまいますから、お墓の承継者のいない方々が、新たなお墓の設置はもちろん、既存のお墓の維持を回避しようと考えるのは合理的な判断ともいえます。

子供に負担をかけたくない

合葬墓を選ぶ人たちの中には、お子さんがいてお墓を継いでもらうことが不可能ではない方もいます。しかし、お子さんが遠方に住んでいてふるさとに帰ってくる予定がない方々の場合、遠方からわざわざお墓を訪れることの負担をかけたくないと考える方も増えてきました。お墓を維持するためには、墓地・霊園に支払う管理料がかかるだけでなく、お墓掃除や除草、敷地内の不具合整備などをしていく必要がありますので、これらの負担を子供にかけたくないと考えるわけです。現実には、現時点でお子さんが滅多に墓参りに行かないといった状態から、無理にお墓を押し付けたくないという想いをお持ちの方もおられるでしょう。

「家を継ぐ」という考え方が一般的であった時代には、長子が祭祀の主宰を引き継ぐのが当然で、住まいも実家の近くにあることが多かったのでしょうが、現在は「家を継ぐ」という考え方そのものが薄れています。それは子供の側だけでなく、親の側からもそのような要望を持たないで子供を尊重したいという考え方に基づいているのでしょう。

永代使用料が安い

合葬型の墓地というのは何も公営墓地にだけあるわけではありません。従来から多くの寺院などには永代供養墓(永代供養塔)などと名づけられた合葬型墓地が設置されています。これらも、家ごとのお墓ではなく、他の方のご遺骨と一緒に合祀され、お寺が供養を続けるという形式のお墓です。

したがって、これらの永代供養墓を利用しても良さそうなものですが、公営の合葬墓が大きく違う点はその使用料の安さです

たとえば、秋田市の合葬墓の永代使用料は1万7千円。寺院や民営の墓地・霊園では考えられない安さです。前述した弘前市の合葬墓は6万円ですが、それでも安く、応募倍率2.5倍となっています。秋田市の合葬墓に対する市民の応募殺到具合は、この永代使用料の安さにもあると考えられます。つまり、お墓に費用をかけられないという経済的な理由が背景にあるものと考えられます。

特に、新規にお墓を取得しようとすれば100万円〜300万円程度の費用がかかる現実に対して、現在お墓のない人がその100分の1程度の費用で安心できると考えれば、応募が殺到するのもうなずけるところです。

お墓に対する市民アンケートなどでも、お墓の心配については金銭的負担が上位を占めています。他の要因と相まって、お金の問題というのは確実に背景にあるのでしょう。

参照:お墓は必要?墓地に関する意識 ~主要自治体での調査を参考に~

お墓に対する意識の変化

上述の現実的な理由を後押ししているのが、お墓に対する人々の意識の変化でしょう。

従来は「家の墓を守るべき」という考え方が強く、「お墓を守らないなんてご先祖様に顔向けができない」といった考え方が強くありました。しかし、「家」という考え方が薄れ、家族観は変化し、宗教観・死生観なども変遷していく中、必ずしも家1つに墓1つというあり方にとらわれる必要はないのではないかという考え方も広まってきました。

そもそも、家ごとに石造りの墓を建てて納骨する方法が一般化したのは、江戸幕府が統治の手段として採った檀家制度という宗教政策の影響で、日本古来からの伝統というわけではありません。たしかに数百年の中で浸透していった供養の方法ではありますが、寺院の檀家制度も形骸化が進んでいます。こういったある種の「縛り」が薄れてきたことと、現実的な困難やニーズを背景に、必ずしも「家のお墓」は必須ではないという考え方が広まってきたものと考えられます。

公営の合葬墓に対する寺院からの反発とそれへの批判

秋田市の公営合葬墓に関する報道の中では、朝日新聞の「安価な合葬墓、寺院は懸念「人生の価値考えるとひどい」」という記事が目を引きました。

(前略)
使用料が安価なことから人気が予想されるが、寺院からは疑問の声も聞かれる。
(中略)
これに対し、市内のある寺院の住職は「人生の価値を考えるとひどい」と疑問を示す。この寺は10年以上前に合葬墓を設け、20万円から供養を受け付けている。檀家(だんか)の墓じまいは「時代の要請」と受けとめているが、「管理の方法などが(公営合葬墓は)お粗末過ぎる」とこぼす。
別の寺院の住職も「『一度埋葬したらおしまい』という感じがして釈然としない」と漏らす。
(後略)

安価な合葬墓、寺院は懸念「人生の価値考えるとひどい」(朝日新聞デジタル) – Yahoo!ニュース

この記事では、タイトルに「人生の価値考えると」という言葉が入っているために、読者から寺院側に対する批判が相次ぎました。記事で寺院名やご住職の名前が特定されていないのは幸いでしたが、3000件以上集まったヤフーニュースのコメントの多くはこのご住職に対する批判です。

公営合葬墓に反発する寺院への批判

上記の朝日新聞の記事はタイトルが少し刺激的な気がしますし、本文でも永代使用料について秋田市合葬墓1万7千円と寺院の20万円が対比されてしまうため、一般の人たちからの反発を買いやすい構成であったとは思います。

ただ、ヤフーニュースの記事は「朝日新聞デジタル」の無料部分だけを転載するもので、会員限定公開部分は転載されていません。会員限定部分には下記のようにあります。

(前略)
秋田経済研究所が県内の全寺院に墓地に関するアンケートを実施すると、自由記述欄に95寺院が回答した。そのうち14寺院が公営の合葬墓に反対を表明。
(中略)
経営難や生活苦を訴える声も多くあり、同研究所は公営合葬墓に切り替えられることへの危機感が背景にあると分析している。
(後略)

安価な合葬墓、寺院は懸念「人生の価値考えるとひどい」:朝日新聞デジタル

この記事の住職コメントへの批判は、

  1. 宗教家が墓の費用の多寡や形式によって人の人生の価値が左右されるように言うのはけしからん。
  2. 要は民業圧迫するなというポジショントークだろう。
  3. どう供養するかは個人の考え方で「人生の価値」などという言葉で批判されるいわれはない。

といったものが多い印象です。

公営合葬墓に反対する寺院側の事情

批判の1. については、「人生の価値考えるとひどい」という言葉そのものが人々の反発を強めた要因だろうと思いますが、実際に記事に掲載された通りの言葉をご住職がおっしゃったのかどうかわかりません。記事ではご住職の発言を要約(意訳)して掲載している可能性もあります。また、実際にこういった発言をされたご住職がおられたとしても、それが仏教界(秋田市の仏教界だけでも)を代表する考えともいえません。現実に、公営の合葬墓に反対しているのは、自由記述欄に回答した95寺院のうち14寺院に過ぎません。

批判の3. については宗教観や死生観に関する考え方であり、一定の信仰を前提にした発言と、それと異なる宗教観や死生観を持っている人の考えを対立させてもあまり意味があるとも思えません。

問題は2. だと思います。朝日新聞の記事でも引用されている秋田経済研究所のアンケートには、下記のような記述があります。

「今後の寺院、墓地運営にあたって」の意見を自由記述で求めたところ、全回答数の43.8%にあたる95の寺院から意見が寄せられた。最も多かったのが、今後の寺院運営に不安があるという意見であり、全体の半数近くを占めた(複数回答)。「収入が激減しており、生活に困っている」、「寺院の維持は困難である」、「寺院運営は切迫した状況にある」という悩みや、「近い将来、廃寺も視野に入れている」、「将来的には寺院は半減する」といった意見もみられるなど、悲痛な声が多く寄せられている。

秋田県の墓地・寺院事情 – 秋田経済研究所(PDFへのリンク)

確かに、秋田市の合葬墓の永代使用料1万7千円は他の公営合葬墓に比べても非常に安価な方です。先に紹介した苫小牧市も安く1体1万1千円と非常に安いのですが、一般的には公営の合葬墓でも5万円〜10万円程度の永代使用料 1 がかかります。

非常に安く納骨が済ませられるとなれば、寺院や民間霊園等にとってはまさに民業圧迫となると考えるのは無理もないと言えなくもないでしょう。また、寺院などだけでなく石材店などお墓に関するビジネスに関わる人たちにとっても影響はありえます。

これに対して、寺院への批判の中には、ニーズに対応できていない寺院側に問題があるといった厳しい意見も見られます。寺院経営を一般的な事業と同じように市場原理の中で見るとすればそういった指摘も成立しうるものではあります。

角度を変えると、それだけ経済的に余裕がない人が増えているという社会情勢が背景にあるのではないかとも思えます。

「お布施」は対価ではないという考え方に問題があるのでは?

寺檀関係が強固であった時代には、寺や僧侶が各家庭の事情を深く知り、また深く関わる日常の延長としてお葬式や法事などがありました。そんな時代であれば、お葬式や納骨、その他の法事などでお寺に渡す金銭はまさに「お布施」と呼ぶべきものだったのだろうと思います。

しかし、寺檀関係が薄れ、または日常的に寺院とのつき合いのない人が増えた現代においては、この「お布施」という考え方を維持するのが難しくなっているのではないかと思います。むしろ、一般人の感覚からすれば、お墓にまつわる事柄だけでなく、寺院に渡すべき「お布施」というもの全般が不明瞭なもので不安を感じるものになっているのではないかと思います。

揺らぐお布施の性質と仏教界の姿勢

お布施に関する仏教界の主流の考え方は、お布施は商品やサービスへの対価ではないというものです。僧侶の宗教行為は商品ではなく信徒の懇志金(信徒が寺に捧げるお金)なのだという考えです。この考え方を背景に、お布施を定額表示することはまかりならぬということが通用してきました。

たとえば、現在「僧侶手配サービス『お坊さん便』」2と称してお坊さんを派遣するサービスがあります。これはサービスの販売価格としてお布施を定額表示しているものです。


[お坊さん便] 法事法要手配チケット (移動なし)

このサービスが2015年12月にアマゾンでの販売を開始した際、全日本仏教会 3 はアマゾンに対して販売中止のお願いをしました(2016年3月)。

(前略)

そもそも、私どもは「お布施」を定額表示することに一貫して反対してきました。それは、「お布施」は僧侶の宗教行為に対する対価ではないからであり、定額にすることによって「お布施」本来の宗教性を損なうからであります。同じように「戒名」「法名」も商品ではないのです。

日本の伝統ある仏教界は、お一人おひとりからのご懇念をもって進納された「お布施(懇志金)」によって寺院を維持し、教えを広め、仏法を相続してきました。これが宗教の本来性であり、教団の歴史と伝統であります。

(中略)

つきましては、貴社におかれましては上記のことをご配慮いただき「Amazon のお坊さん便 僧侶手配サービス」の販売を中止されるよう、お願いするものであります。

(後略)

「Amazon のお坊さん便 僧侶手配サービス」について(販売中止のお願い) – 全日本仏教界

お布施の性質に関する仏教界と一般人の感覚の乖離

しかし、寺院側のお布施に対する考え方と一般の人々の感覚は大きく乖離してしまっているのではないかという疑問があります。

どんなにお布施が「志」「施し」なのだと説かれても、「それでは100円で」と言って通用するものではないことは誰もが理解しています。かつて生活の隅々まで寺檀関係が浸透していた時代であれば、家庭の経済状況に合わせてお布施の額も極端に少ないことが認められていたこともあったのかもしれませんが、現在そのようなことが通用するとは一般人は考えていません。一般人の感覚からすれば、まさに宗教行為を行ってもらったことに対する対価であるから一定額以上を払う必要があると考えているのです。

しかし、上で見たように仏教界ではお布施を定額表示するべきではないという考え方が支配的であるため、一般人はお布施をいくら包めば良いのかわからなくて不安を感じたり、寺院や僧侶側から予想外に高額のお布施を請求されて困惑するなどの問題が生じています。一般人から見た場合の「お布施の不明瞭さ」と寺院とのつき合いの希薄化が、お布施を対価として認めない仏教界に対して不信感を呼び、「課税されたくないだけではないか?」などの批判を招いているようにも思えます。

この感覚が、お寺の永代供養墓の永代供養料と、公営合葬墓の永代使用料の比較においても作用しているのだろうと思います。秋田市の記事の例で言えば、1万7千円と20万円との金額の差にどれだけの内容の違いがあるのかわからない、という感覚は確かにあるのでしょう。実際には公営合葬墓にくらべて永代供養墓では「供養」をこまめに行ってくれるのかもしれませんが、そもそもお布施への相場観も薄く比較しにくいということもあると考えられます。

そして、より根本的には、お寺がしてくださる供養にいかほどの価値を見出すのかという点も時代とともに変遷していることが大きな背景としてあるのだと思います。それは日本人の宗教観の変化、寺院が果たしてきた役割に対するシビアな見方などが影響しているはずです。

お布施を対価と認め価格を明瞭化することは時代のニーズではないか

朝日新聞の記事でご住職に対する批判が集中したのも、根本的には宗教観の変遷があり、より直接的にはお布施を「対価ではない」と頑なに主張する仏教界への反発が背景にあったのではないかと思います。そのような背景がある中で記事タイトルに「人生の価値考えるとひどい」という刺激的な言葉が含まれていたために批判が集まった面はあるでしょう。

個人的な意見を少し述べるとすれば、「お布施は一定の宗教サービスに対する対価である」ということろまでは妥協すべきではないでしょうか。お布施の性質を対価と考えるかどうかは仏教界だけが決められることではありません。一般人が対価だと考えているものを「宗教性」をもって「対価ではない」と主張し続けることは、一般人からの支持を失っていくことに繋がります。宗教的行為を依頼すればお金が必要となることは今や常識である以上、正面から「お布施は対価」と認め、価格を明瞭に表示することによって利用しやすくすることが、寺院への支持をつないでいく一つの方法なのではないかと思います。

実際、このようなお布施の定額表示をする寺院は少しずつ増えているようです。また、永代供養料などについては寺院でもお布施の額を明示していることも多いと思います。しかし、いまだに多くの法事におけるお布施は「よくわからない」と感じている人も多いでしょう。墓じまいの際の離檀料についてトラブルの話も聞きます。一気に変化することは難しくても、葬送や供養にかかる費用の明瞭化が進むと良いなと思います。

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  1. 費用の名目(名称)は自治体により異なります。 
  2. 「お坊さん便」は、株式会社よりそうが運営している僧侶派遣サービスです(【お坊さん便】利用者数No.1のお坊さん手配サービス )が、販売ルートとしてアマゾンを利用し始めたことにより、全日本仏教会はアマゾンに対して抗議を行いました。 
  3. 全日本仏教会のHPによれば、全日本仏教会は、「主要な59の宗派、37の都道府県仏教会、10の仏教団体、合計106団体(平成30年11月現在)が加盟している日本の伝統仏教界における唯一の連合組織」だということです。(参照:沿革 & 組織図|全日本仏教会)