お墓に関する保守的な考えは若年層ほど強いのかもしれないという話

弊社ではさまざまなお客様から粉骨代行を依頼いただいておりますが、最近少し気になっていることがあります。それは、若年層ほど葬送やご遺骨の取扱いについて、保守的な考えが強いのかもしれないということです。

木と曇り空を背景にした墓地の写真

家族内での散骨についての意見相違では子どもの反対が多い?

お客様から正式に粉骨のご依頼をいただく前にご相談を受けることは良くあるのですが、ご家族の中で遺骨を粉骨するかどうかについて意見が分かれているといったご相談を受けることも良くあります。多くの場合は粉骨後にご自身で散骨することを検討されている方が、他のご家族から反対を受けているというご相談で、それ自体は珍しいことではありません。

(そのような時、弊社としては「散骨が良いですよ」「粉骨しましょう」といったお答えをすることはいたしません。弊社は粉骨を選択されたお客様に対して誠心誠意粉骨をさせていただいておりますが、お客様の選択自体を左右しようとつもりはないからです。弊社は、ご遺骨の取扱いや葬送の方法に関しては、人それぞれの価値観や故人の遺志が最も大切なのであり、何が「良い」「悪い」といったことではないと考えています。弊社ができることは、皆がご自身または故人の選択を十分に果たせるようにお手伝いすることだけです。ですから、何かをお勧めするスタンスではなく、できるだけ客観的にご相談にお答えするように心がけております。)

そんな中、このような相談において比較的頻繁に見られるのが、お子様のおられるご夫婦の一方が亡くなられた場合に、お父様やお母様は散骨を希望されているのに、お子様がこれに反対しているというパターンです。故人の遺志や、明確でないにしても故人の志向とご自身の想いなどを勘案して、お父様やお母様が散骨をしたい思われることは良くあります。しかし、お子さんは、「普通で良いではないか」とか、「遺骨がどこにあるのかわからなくなるのはイヤだ」といった理由で反対されるのです。

実は、この逆はこれまで聞いたことがありません。お子さんが散骨を希望され、パートナーを失われたお父様やお母様がこれに反対するという事例は、弊社の経験上はないのです。

若年層ほどお墓に対する考えは保守的?

ここでご紹介をすることはできないのですが1、実は若年層(20代ぐらい)ほどお墓に対して保守的な考えを持っているのではないかという調査結果もあります。「一般的なやり方で良い」「遺骨がどこにあるのかわからなくなることに抵抗感がある」、また墓じまいをして合葬墓に改葬することなどについても「墓をなくすのは先祖に対して申し訳ない」などと考える人の割合は、若年層ほど高いとうい傾向もあるようです。

お子さんがいてお墓の承継者がいないわけではないのに墓じまいを決断される方々の多くは、「墓のことで家族に負担をかけたくない」という想いで決意されている方が非常に多くなっています。しかし、お子さんの方は「普通がいい」と考えていることも多いというのは不思議な感じもします。少なくとも、少し前まで私が想像していたのとは逆です。年配の方ほどお墓や供養に対する考え方は古く、保守的で、従来から行われてきた形式・方式にこだわりが強く、若い方ほど従来からの形式にはあまりこだわらないのではないかと思っていたのです。

お墓を現実的に見る年配層

これはいかなることなのでしょうか。ここからは私の全くの推測ですが、若い方は自らの責任でお墓参りをしてお墓の維持・管理をした経験が乏しく、事情があってお墓を放置してしまっている時の心理的負担なども未経験であることも多いのでしょう。一方で年配になると、これまでずっとお墓を守ってきた経験から、お墓の維持管理負担が馬鹿にならないものだということを痛感しているのかもしれません。つまり、現実感の相違なのかもしれません。

また、お子さんを大切に思っているからこそ、亡くなる者よりも自分たちのことを優先してほしいという想いが勝るのかもしれません。しかし、お子さんの方はお子さんの方で親御さんのことを大切に思っているからこそ「普通」にしたいと考えるのかもしれません。

あるいは、若い頃と違って、自分の死について考えることも増え、あるいは配偶者が亡くなることを体験するなどすることによって、より実質的に葬送について考えるようになるのかもしれません。強固な宗教観があるのであればその宗旨に従う以外選択肢はないでしょうが、そうでない限り、形のない「伝統」や「形式」などよりも、ご自身や配偶者の想いを重視したいという想いが強くなるということも考えられます。

これらはあくまで個人的な推測にすぎませんが、若年層ほどお墓に保守的で、年配層ほど新しい葬送のあり方を受け入れるという傾向は、さまざまなアンケート結果と弊社が日々感じている感覚にマッチしています。

「普通」を変えていく現在の年配層

現在の日本で故人を弔う方法として「普通」とされているのは、家または家族のお墓に納骨するということでしょう。しかしそれがなぜ「普通」なのかというと、数としてそのようにしている人が多数派だからです。しかし、この「普通」の数は現在大幅に減少中です。合葬墓の設置は各自治体で増えていますし、散骨への認知も広まり選択する人も増えてきています。

そもそも、現在ある「先祖代々の墓」には長くても3、4世代分の遺骨しか眠っていません。日本で火葬が普及し始めたのは明治以降で、火葬率が50%を超えたのも昭和10年頃だといわれています 2。土葬では先祖代々の墓に入れませんので、「先祖代々の墓」が主流になってから100年も経っていないということになります。また、長く見積もっても、「家」のお墓に入るという考え方は、江戸時代に宗教政策として採られた檀家制度によって広まったものに過ぎません。ですから、今の「普通」のお墓のあり方は、そう歴史のある「伝統」とも言えないのです。

だからといって、この「普通」が良くないとか、変わっていくべきだと言いたいわけではありません。そうではなくて、「普通」は変化していくものだということです。お墓に対する考え方の変化を現在担っているのは、身近な人が亡くなる体験をしたり、自分自身が亡くなることを現実的に考えている世代です。また、次の世代にかかる負担のことなども真剣に考えています。そして、この世代の人々は、比較的フレキシブルにお墓に対して向き合っているように思えます。墓じまいをして合葬墓に改葬したり、自分の代で墓じまいをして散骨を希望したり、維持管理負担の少ない樹木葬を選択したりと、過去数十年の間はなかった自由な選択が広まり始めています

そうやって「普通」の変化を、若者ではなく年配の方々が担っているという事実は、とても興味深いことだと思います。また、個々人の選択がどのようなものであれ、それが尊重され、関係する遺族のみんなが納得して安心できる方法を実現できるということが最も大切なことでしょう。その選択が、これまで通りのお墓に納骨することであっても散骨することであっても構わないのです3 。ただ、これまでの「普通」ということだけで思考停止するのではなく、新たな「普通」とはなんなのか、その「普通」が包摂しうる選択肢の幅はどこまであるのかといったことを、現在の年配層の方々は確かに考え始めているのではないかと思います。

 


  1. とある業界団体のアンケート調査結果なのですが、厳しい引用条件があるためそれを尊重して引用自体をしないでおきます。客観的なデータを提示できなくて申し訳ありません。 
  2. 勝田至 編『日本葬制史』(吉川弘文館)P293~ 
  3. もちろん社会的資源の活用のあり方として、家ごとのお墓が合理的なものであるかどうかについて議論されることはありえるでしょう。