粉骨することの意味

散骨をしようとする場合、粉骨作業は必須ともいえるものです。散骨においては一般に一片が2ミリメートル以下になるまで粉骨するべきものとされています。また、ご自宅にご遺骨を安置し手元供養したいという場合に、嵩を減らしてコンパクトにしたいというニーズもあります。また、ご遺族の間で分骨するために粉骨する場合もあります。

ただ、他の理由で粉骨を希望される場合もあります。ある方から実際にお伺いした話から書いてみましょう。

故人への想いから骨壺を毎日のように開けてご遺骨を見るという方がいます。傍に置くだけでなく、毎日故人を見たいという願望です。ただ焼骨は多少なりともお骨の原形をとどめている部分もあるため、それを目にすることを辛く感じる方もいます。それなら「見なければ良いだろう」という声が聞こえてきそうですが、それでも故人への想いがまさって骨壺を開いてしまうのだそうです。

焼骨を目にしたときの印象は人によって異なります。火葬場で「お骨拾い」をする際に強いショックを受けてしまい長い間立ち直れないような人もいます。もちろん、親しい人のご遺骨を目にすることは誰でも辛いことですが、中には毎日骨壺を開けて中の焼骨に触れることを日課にしているような方もおられます。どちらが良いとか、どちらが故人への想いが強いとかの問題ではなく、ご遺骨から受ける印象は人それぞれなのだということです。

ご遺骨を傍に置いておきたい、また毎日ご遺骨を目にしたい、ただ通常の焼骨を目にするのは辛い、そんな理由から粉骨を選ばれる方もおられます。たしかに粉骨後のご遺骨はきれいなパウダーとなり、ある種の生々しさは失われます。例えるならビーチの白い砂をもっときめ細かくしたような感じでしょうか。

ご遺骨をどうされるのが良いのかについて、私から何か申し上げることはできません。通常の焼骨の状態の方が良い方もおられる一方、粉骨をした方が心安らかになる方もおられるのです。散骨についても同様です。散骨することで心穏やかになる方もおられれば、後で後悔してしまうような方もおられます。

宗教観や死生観によって異なる面もあるでしょう。「決められた」方法に従うことで自分が「選んだ」という負担を負わなくて良い面もあります。ただ、人の感情は本当にさまざまです。大切なことは、残されたご遺族が望むようにすることだと個人的には感じます。もし弊社の粉骨が少しでも心安らかになるお手伝いになるとすればありがたいことです。ただ、私が「是非粉骨を」とおすすめすることはありません。粉骨をすることの意味は人によって異なります。

さまざまな故人への想いにそった方法はひとつではありません。また、多くの場合、ご遺族の望みにかなった方法を選ぶことが故人の生前の想いにもそうことになるでしょう。