永代使用料を払ったのに無縁仏?少子高齢・多死社会の厳しい現実
最近、無縁仏についての話題を耳にすることが多くなってきました。これは、日本が少子高齢・多死社会を迎えていることのひとつの表れです。
平成29年版の高齢社会白書によると、日本の高齢者人口は2016年10月1日現在で3,459万人にのぼり、高齢化率も27.3パーセントとなっています。超高齢化の進展は今後も続くとみられており、2065年には国民の約2.6人に1人が65歳以上の高齢者となると推計されているのです1。このような状況の中、亡くなる人は増加する一方、お墓を守る若い人たちの人口は減少していくために、このままでは無縁仏が増加していくことは避けられないでしょう。
そこで、ご遺骨の供養やお墓のあり方について考えるきっかけにしていただけるように、どのような事情で無縁仏が生じるのか、また無縁仏についてはどのような取り扱いがなされているのかについて説明します。
≪目次≫
無縁仏の意味とその取扱い
無縁仏という言葉にはいくつかの異なる意味があります。大きく分けると、引き取り手のいない遺体を指す場合と、何らかの理由で管理されなくなってしまったお墓や遺骨を指す場合とがあります。
引き取り手のいない遺体を指す「無縁仏」
まず、何らかの形で遺体が発見されたものの、その遺体の身元がわからず引き取り手がいない場合、その遺体を無縁仏と呼ぶことがあります。また、身元はわかっているものの、身寄りがなく引き取り手がいない場合も同様に無縁仏と呼ばれます。
さらに最近では、遺体の引き取りを拒否する遺族も増加しており、このような遺体も無縁仏と呼ばれるのが通常です。2017年7月の報道では、政令市における33人に1人の遺体に引き取り手がなかったとされています。2
調査は今年6月、政令市を対象に実施。06~15年度に税金で火葬後、保管・埋葬した遺骨数を尋ねた。この結果、政令市の計20自治体は15年度に計7363柱を受け入れた。厚生労働省の人口動態統計によると、政令市の15年中の死者数は計24万4656人。統計は年間集計だが、33人に1人が無縁だったことになる。4047柱だった06年度から1.8倍になった。
このような無縁仏の増加は、少子高齢化や葬儀費用を負担できない人たちの増加などが背景にあるとも考えられます。現実に、このような無縁仏の多くは身元は判明しているものの家族が引き取りを拒否しているという話もあるのです。個々には、生前の故人と遺族との関係が良好ではなかったという背景がある場合も多いようですが、昔に比べて関係する遺族の数が少なくなっていることや経済的余裕がないことなども関係しているでしょう。
これらの無縁仏に対しては死亡地の自治体が対応しています。その根拠となる法律は、身元が判明しない遺体については「行旅病人及行旅死亡人取扱法」3、身元が判明している遺体については「墓地、埋葬等に関する法律」4です。これらの法律によって、身元が判明しない遺体については官報によって確認手続きが行われた後、身元が判明している遺体で引き取り手がいない場合はそのまま、各自治体で無縁仏の火葬を行い慰霊塔に合祀されます。身元不明の遺体については遺留品を処理費用に充てることもありますが、身元が判明している場合は自治体から個人のの相続人に費用の請求が行われることになります。もっとも、実質的には各自治体が処理費用を負担していることが多く、結局それは住民の税金によって賄われているということです。合祀場所の確保も含め、自治体の負担は看過できない状況になっています。
管理されなくなったお墓を指す「無縁仏」は身近な問題
一方、管理できなくなってしまったお墓のことも無縁仏と呼びます。あるいは、このようなお墓に埋葬されている遺骨を指す場合もあります。
「管理できない」ということの意味には2つあり、お墓を引き継ぐ親類縁者が存在しなくなってしまったことによる場合と、親類縁者は存在するものの何らかの事情でお墓の管理ができなくなってしまったことによる場合があります。
少子化社会の中で、自分の代まで受け継いできたお墓を引き継いでもらう人がいないという場合が多くなってきています。そのような人が亡くなるとお墓は無縁仏になってしまいます。また、そのような人が存命中の場合でも、高齢の場合や経済的余裕がないような場合にはお墓を訪れて供養することが難しくなっていくという事情もあるのです。
さらに、死生観や宗教観などは日々変化しており、供養のためにお墓を守り続けることに価値を感じないような人もいます。特にこのような人がお墓から遠方に住んでいるような場合には、時間や費用をかけてお墓を管理することをせず、放置するということもあるのです。
多数のお墓のある墓地や霊園に行くと、長い間誰も訪れていないであろうお墓が散見されます。墓地や霊園の管理者が最低限の管理を続けている場合もありますが、一定期間以上何らの連絡もなければ無縁仏は処分される運命にあります。
「永代」という言葉で誤解しがちな永代使用料
お墓を管理する人がいなくなっても、お墓を設けたときに永代使用料を払っている以上、簡単に無縁仏になるわけはないと思っている人がいるかもしれません。「永代」という言葉からは、将来にわたってずっと墓地や霊園を使用できるはずだろうと考えるのは無理もないことでしょう。
しかし、永代使用料を支払ったからといって、お墓を設置している土地区画の所有権が得られるわけではありません。永代使用料はあくまでも「使用料」に過ぎず、永代使用料は墓地や霊園の一区画を借り続ける永代使用権への対価という意味なのです。さらに、墓地や霊園に対しては、永代使用料の他に年間の管理費も支払わなければなりません。一定期間以上この管理費を支払わないなど、定められた管理規則に従わないと永代使用権はなくなってしまうのです。
つまり、お墓を設置した際に永代使用料を支払っていても、長期間にわかってお墓の継承者と連絡がつかなかったり、管理費の支払いが行われないでいると、お墓は無縁仏になってしまうということです。
墓地や霊園における無縁仏への対応方法
お墓の継承者が一定期間以上いなかったり、管理費が支払われなかったりした場合に、墓地や霊園が永代使用権を剥奪してお墓を処分するのは無理もないことです。利用者の使う通路や水道、植栽などを維持管理するのにもコストがかかります。このコストは管理費によって賄われているのですから、これを徴収できないお墓が増えていけば墓地・霊園管理者の負担は増加する一方です。かといってメンテナンスを怠れば、墓地や霊園は荒れ果てて普通の利用者にしわ寄せがきます。また、放置されたお墓の区画も、設置物の異常や雑草などの問題から周囲の区画に悪影響を及ぼしてしまいます。
ただ、墓地や霊園の管理者といえども、無縁仏となったお墓を処分するのは簡単なことではありません。管理者の勝手な判断で安易にお墓が撤去されたりすることがないように、無縁仏であることを確認し改葬するための手続が「墓地、埋葬等に関する法律施行規則」5で定められているからです。この規則では、管理者には台帳に基づく縁故者の存否の調査のほか、縁故者との連絡を図るための手段についても定められています。それによれば、官報での公告のみならず、お墓の見やすい場所に官報と同じ内容の立札を掲示して、縁故者等からの申し出がないかを1年間待たなければならないとなっています。これらの手続を経た上で自治体からの改葬許可を得られればお墓を処分できるようになります。
無縁仏(無縁墓)を処理するためのこれらの手続は、1999年に「墓地、埋葬等に関する法律施行規則」が改正されたことによって簡素化されたものです。以前はより大きな負担を墓地や霊園が負っていました。手続の簡素化は、墓地や霊園の負担を軽減し新たな墓地を供給するために行われたものであり、その背景にはやはり無縁仏(無縁墓)の増加があります。規則を改正して対応する必要があるほど無縁仏(無縁墓)の問題は看過できないものになってきているともいえるでしょう。
このような手続きを経て処分することになったお墓に埋葬されていた遺骨は、通常、墓地や霊園の中にある合同慰霊塔などに合祀されます。お墓は撤去され、新たなお墓を設置するための区画となります。撤去や合祀供養を行うための費用などは管理者の負担となるのですが、結局のところ新たなお墓の永代使用料や管理料に跳ね返っているという面も否定できないでしょう。
永代供養や散骨という方法もある
お墓を引き継いでいるものの自分の後に引き取り手がいない場合や、引き継いだお墓の管理負担に耐えられそうにないという場合に、「墓じまい」をして後の心配をなくしておこうと考える人も増えてきています。墓じまいとは、お墓を撤去・処分することです。また、現在お墓のない人も、お墓を新たに設置することなく、遺骨を供養しようと考える人が増えてきています。
永代供養料を支払って合祀してもらう方法
先に出てきた「永代使用料」に似ている言葉に「永代供養料」というものがあります。これは、お墓を新たに設置することなく、墓地や霊園、お寺などの永代供養塔・合同慰霊塔などに遺骨を納める方法です。お墓に訪れる人がいなかったり、供養する人が途絶えても、霊園やお寺が供養を続けてくれる、文字通り「永代供養」をしてもらうための費用です。
お墓を新たに設置するのに比べれば必要となる費用は少なく、供養を引き継いでくれる人がいない場合の心配もありません。そのため、墓じまいをした後の遺骨を永代供養塔に合祀する場合もありますし、最初から永代供養を選ぶ場合もあります。
散骨なら無縁仏の問題は起きない
遺骨を手元において供養をする人もいます。その理由は人によりさまざまで、故人への想いから遺骨を手放せないという人がいる一方、お墓もなく遺骨の持ち込み先に困っているような人がいるのも現実です。望んで手元に置いている人の中には、骨壺・骨箱での保管ではなく、焼骨を粉骨してかさを減らしコンパクトな形で保管・供養されている場合もあります。一方、仕方なく手元に置いているような場合には、遺骨がそばにあって供養できていないと感じる人もおり、それが心の負担になってしまっていることもあります。
一方、海などへの散骨を行う人も増えてきています。決まったお墓や合同慰霊塔などではなく、海そのものをお墓にしたいという考えもあるでしょう。また、死生観や宗教観の変化から、従来型の供養に違和感を感じる人が増えているのも事実です。お墓や骨壺の中ではなく、自然の中に帰りたい、帰してあげたいという考えが広がりをみせています。いずれにしても、散骨という方法であれば、お墓が無縁仏になってしまうという問題は起きません。
お墓を維持・管理していけるのかを真剣に考える必要がある
故人をどのように供養するのか、あるいは自分が亡くなった後どう供養してもらいたいのか、その想いは人それぞれです。宗教観や死生観など個々人の持つ価値観にしたがった方法を、誰もが自由に選択できればそれに越したことはありません。
ただ、極端な少子高齢化の進展や多死社会といわれる状況の中で、好むと好まざるとにかかわらず、従来型の供養の方法を維持できないような場面も多々生じ始めています。無縁仏は決して遠い世界の話ではなく、身近に起こっている問題なのです。
どのような考え方を持っていたとしても、放置し続ければお墓は無縁仏になり撤去されてしまいます。そこには宗教観や死生観とは関係のない経済的な事情が強く関係しています。そうであれば、お墓を維持・管理していく負担(コストや労力)を真剣に考え、最も良い方法を個々で選んでいく必要があるのではないでしょうか。また、社会的コストを抑えながら、誰もが安価に利用でき、多様な価値観に対応できるサービスを、官民問わず充実させていくことも必要でしょう。
誰もが安価に選択できる葬送の方法を模索中です。また法律・条例や社会的ルールが向かうべき方向についても日々勉強しています。